砂山
「プライバシーと見守り」の両立という意味では、今回採用された「遮音性のある引き戸」が挙げられます。引き戸の遮音は難しく、遮音性能を高めようとすれば重くなり、高齢者が使いにくいものになってしまいます。これを解決できる企業を探し、製造してもらいました。これは日本で初めてのことではないでしょうか。
出井
そもそもこの話の原点は、「プライベート空間は、徹底してプライバシーが守られうる構造にしよう」ということから始まりましたね。
砂山
扉の遮音性にこだわったのは、居室の中でゆったりと過ごされている時に、廊下から大声が聞こえては寛げない。その逆も然りで、居室での生活音が廊下で聞こえるのもどうなのか。また、通常、見守りを考えると、扉に窓があり、廊下から室内を確認しやすくするのですが、それもプライバシーという観点から違うだろうと。入居者が生活されるプライベート空間に、最初から居室の中を覗くための窓があるのもどうなのかというような多岐にわたる議論を展開しました。
出井
そこで結論に至ったのは、「将来、取り替えられる引き戸」でしたね。
砂山
そうです。元気な時は扉に窓はいらない。ですので、最初は窓のない引き戸を採用し、後に見守りが必要になったとき、窓付きの引き戸に取り替えが可能なように設計しました。
出井
「斜め置きのトイレ」もそうですよね。
砂山
はい。「斜め置きのトイレ」というのは、介護の視点からとても大事なことです。これは大便器の両側に介護スタッフの方が立てるようにしたのです。通常のトイレを設置する場合、居室の幅は壁芯で3mとして設計しますが、今回は斜め置きトイレにするため、居室の幅を3m40cmに広げています。元気な間は大便器横のスペースは必要ありませんが、この40cmが後の介護の仕方に大きな影響を与えます。
砂山
ひと部屋40cmと言っても、片面に25室あれば、40cm×25室=10mぐらい廊下が長くなります。費用として考えれば1000万円~1200万円違ってきます。また将来、介護用の床走行式リフトを使う場合を考えると必要になります。この40cmをいかに考えるのか。必要と考えるのか、必要ないと考えるのか。その40cmに事業者の思想が現れるのです。
出井
斜め置きのトイレのご提案いただいた際、斜めだと手洗いが遠くなるという理由で、可動する手洗いの話もありましたね。こちらは採用には至らなかったですが、ゆう建築さんには常にそういった発想がありますね。その一方で先程の話、「手すりって必要?」という議論もするわけです。
出井
本当にそのとおりです。「何のために何を」、そこにVE(※Value Engineering バリューエンジニアリング)の思想が入ってくると、コスト感覚的にも合ってくるし、ご入居者も納得いくものになっていくと考えています。一つひとつ納得して、進めていくことができる関係が良いと感じています。
(※Value Engineering:製品やサービスなどのコスト当たりの価値を最大化しようとする考え方、手法)
砂山
コストという話はこれからとても重要なことです。昔は「福祉=補助金」という考えが強かったので、極端な話、福祉にコスト感覚は、ないに等しいものでした。それが有料老人ホームだとそういった考えはできませんし、「どこまでやるか?」という判断が事業者によって違ってきます。極論を言えば、事業者と建築設計者が「とりあえず手すりをつけて段差をなくしたらいいですよね?」というのが福祉の世界でした。現在ではもちろん福祉施設の設計手法は進歩していますが、まだまだ満足いくものではありません。今後もソニー・ライフケアグループと仕事をする上で、今まで福祉施設の設計で培ってきたハードへの考えとソフトの既成概念に対して、ご入居者にとってどうあるべきかという原点からの発想を持ち、施設の姿を摸索していきたいと考えています。
砂山
繰り返しになりますが、「プライバシーと見守り」の両立。「ご入居者の生活の変化に対応できる可変性」。加えて「選択できる環境」ではないかと思います。例えば、入浴一つをとっても、一人で入りたい人、大浴場で入りたい人がいます。それを自分の希望で選択できること。また、他の人と何を一緒にやり、何を一人でやりたいのか、それが選択できること。見守られたい、見守られなくていい、それを選択できること。
これらの選択を、介護施設、有料老人ホームと一括りにせず、ご入居者一人ひとりのことを考える必要があります。つまり、高齢者が集まっての住まい、その生活そのものを考えなくてはならないのです。さらにそれは、変化していくものだという認識も必要です。
出井
そうです。変わっていくものですから、常に考えていく必要があります。
砂山
大事なことは「新しい生活スタイルをイメージする」ことです。例えば、戦後に住宅の一大革命がありました。住宅不足を解消するために多くの集合住宅が作られたのですが、ここで、「LDK」という生活スタイルが生まれたわけです。それまでの住宅では、キッチンと居間は離れた所にありましたが、キッチンと居間を一体化してしまう。これにより、主婦の動線が合理化され、このスタイルが社会的標準になっていきました。この考えは集合住宅のみならず、戸建住宅にまで浸透していきます。このことは、戦前の既成概念や価値観が覆された、新たな生活スタイルとなったことを意味します。その環境の変化があった世代の人、育ってきた人が今からの入居者となるわけです。その価値観は、戦前の世代とは全く違うものです。
私はここで改めて「高齢者の生活スタイルを提案しないといけない」と思っています。みんな集まって生活する(住む)けれど、一緒にやること、やらないこと。見守られることと、見守られないこと。それを一人ひとり別のものとして考える。その多様性を考える。戦後にあった、日本の住まいの変革と同じようなことが現在の高齢者の生活環境下でも起きてくるはずなんです。
出井
ほんとそうなんですよね。老人介護施設というのは身体の状態が良くなくなった方が転居してくる場です。家族から離れて独居になるという部分があり、一方で知らない人と集合生活をする。この要素をネガティブに感じさせるようでは、日本の介護は絶対に良くなりません。それをポジティブに感じさせるハード面やソフト面、それらを我々は追求しようとしています。事業コンセプトとして「Life Focus」と言っていますが、転居することが決してネガティブにならない、ポジティブに捉えられる、それが具体的な言葉になっているのが「生活の継続性」だったり「自立」という言葉なのです。
出井
人はそれぞれ生き方が違うし価値観も違います。居室空間において考えるなら、最初から分離しているということと、分離したい時にできるという選択は別のものです。分離できる状態にしておかないと、したくなった時にその要望は満たされません。それが実現できるよう、最低限、ハード面で備えておく必要があります。「見守り」の観点を考えても、まさに入居していただく方の価値観に合う選択ができる環境が必要です。それぞれの人の考え方、要望の違い、その多様性に応えることが今から介護施設にも求められることではないでしょうか。
出井
いろいろありますが、根底にはソニーという会社の基本は「人にFocusをし、事業をやってきている」ということです。それはエレクトロニクス製品を売ろうとも、コンテンツサービスを売ろうとも、金融サービスをやろうとも『その人の生活、暮らしを豊かにしたい』というところにベースがあるということです。
ソニー創業者である井深大(いぶかまさる)氏がつくった設立趣意書の2項目には「日本の再建」「文化の向上」が掲げられています。日本が戦争に負けて、新しい国をつくっていかないといけない。井深氏は、たまたま創業イズムとしてエレクトロニクス分野を選択したけれども、根底には「この国を豊かにしたい」という思いがあったと解釈しています。
その思いを現時点の日本に当てはめれば多くの課題があり、特に「高齢者の領域」には明確にあります。確かに介護事業参入は、ソニー生命という兄弟会社があり、そこでのお客様の声もきっかけの一つではありますが、どこにイズム、根源を求めるかと考えたなら、創業者に遡って「人の生活、暮らしを豊かにしたい」、その思いです。その根底に、ベーシックに「人のやらないことをやろう」「規模を追っかけない」「ゼロベースで原点から物事を考える」などの思想を加えたならば、今までとは違う介護事業になるのだと感じているわけです。
出井
私もハンディカムやデジカメの企画、マーケティング、そして金融に携わり、今回、介護事業の職に就いたわけですが、ずっと変わらず心にあるのは創業者と同じ「その人の生活、暮らしを豊かにしたい」という思いです。この介護事業でもその実現に向けて邁進しようと思っています。
砂山
はい。「プライバシーと見守り」の両立。それを指し示すことはできましたし、確実に必要なことはやりました。そういった意味では新しい高齢者の新しい住まい方、生活の一歩を踏み出したといえるでしょう。ただ課題はまだまだあります。それはすぐに答えがでるものではなく、これから経験を踏んで生まれてくるかもしれません。
今後は、さらに介護事業が変化、進化、多様性を求められるので、ソニーが介護事業に出て行く意義がそこにありますし、例えばソニーのエレクトロニクスで培った技術が、その進化の支えとなっていくのではないでしょうか。これからのソニーの介護事業がどうなっていくのか考えるのが楽しいし、共に培っていければと願っています。
出井
今回はハード面中心の話ですが、そこから離れると苦労はまだあります。介護事業は長期的視点での経営を覚悟して参入した事業です。収益性を考え、先々の企業責任を果たす必要があります。そのためには、まずはご入居者に私たちの提案をご納得いただくものにしたい。それは、単に入居してもらったということではなく、「ソニーの介護サービスって違うね」「新しいことやっているよね」「入って良かった」と言っていただけるところまでいかないと介護事業の成功とはならないのです。もちろんそのためには、毎日の試行錯誤の中でまた新しい提案がでてきて、日々良くしていくことも大事ですが、中長期的にその価値を高めていくことが重要です。まずは、ソナーレ祖師ヶ谷大蔵での生活が、みなさま一人ひとりのご期待に添えるようなものになるよう、精進して参りたいと思います。よろしくお願いします。
株式会社ゆう建築設計事務所 http://www.eusekkei.co.jp
1949年生まれ
1971年 京都大学工学建築学科卒業した後、同大学同学科の修士課程へ。 ベルギーに留学した後、75-76年修士課程修了。
1981年 株式会社ゆう建築設計事務所設立。
ソニー・ライフケア株式会社
ライフケアデザイン株式会社
1963年生まれ
1986年 ソニー株式会社 入社
2004年 ソニーフィナンシャルホールディングス株式会社 経営企画部長
2011年 同社 執行役員
2014年 ソニー・ライフケア株式会社 ライフケアデザイン株式会社 代表取締役社長(現在)。
※上記インタビューは2015年11月18日に行われたものです。
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